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本日は最終日。
白川郷を見物しているんじゃないかな。
家に到着するのが何時になるのか検討がつきません。
メールのお返事は、明日になると思います。
すみませんが、もう少しお時間をくださいませ。

では、若き日の冒険、最終章をどうぞ

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これが下界の旅先で、宿に断られたというのならまだいい。
一応、高山なんである。
ここで断られたら、私ら一体どーしたらいいの?

幸い、私には幼い頃の記憶が鮮明に残っていた。
想定外の出来事だったが、頭脳をフル回転させ、
おかげですぐに気を取り直すことができた。

確か、雲取山には山頂に避難小屋がある。
ここからまだ相当先になるが、そこに行けばきっとなんとかなる!

だが、時間がない。太陽はもうすぐ沈みきる。
できれば、少しでも陽があるうちに行程を縮めておきたい。

もう、泣いていいやら、笑っていいやらって感じで、
今にも崩れそうになっている後輩を引きずるように立たせ、
赤い夕日が照らす山道を更なるペースで突き進んだ。

そうして、ぐったりした後輩を後ろに、
せっせときつい勾配を登り詰め、とうとう山頂に辿り着いた。

やった! 昔の通り、避難小屋がある!

すっかり辺りは暗くなり、
ボーっとしたシルエットで浮かぶように見えるその建屋が、
このときばかりは救いの主のように見えた。

この日の夜、雲取山の山頂から眺めた景色を
私は終生、忘れることができない。

空には満天の星空。
そして、眼下には関東地方の美しい夜景が、
宝石箱をひっくり返したかのような輝きで広がっていたのである。
これは、函館の夜景など、全く比較にならぬほど美しかった。
この時刻に、雲取山の山頂に立って、
下界を眺めることができた者だけが知っている、
貴重すぎるほどのシーンなのである。

だが、しかし・・・
気が狂いそうになるほど美麗な夜景だったが、
私らはそれをほんの数秒しか味わうことができなかった。

なんせ11月の山なんである。
しかも、そこは、遮るもののない、
高度2000mの吹きっさらしの山頂。
陽が落ちた後の寒さたるや、
これはもう、想像を絶するものがあった。

山小屋で飲もうと、ウィスキーを持っていった。
これで暖を取ろうと思ったのだが、
生のままのアルコールが胃の腑を焼くよりも早く、
体の芯に冷気が入り込んでしまう。
あまりに寒すぎて、ガチガチ震えて歯の根が全く合わない。

夜が更けていくにつれ、
風がビュービューと音を立てて山小屋を揺する。
真っ暗闇の小屋の中、聞こえるのは木々がこすれる不気味な音だけ。
そして、なにより堪えるのは、この骨身を削るような寒さ。
なぜだか小屋の中にまで、冷たい風の流れが感じられる。
この日の夜は、まるで悪夢でも見ているような思いだった。

用意がいい後輩は、持参した寝袋にくるまって、
さっさと眠りの国に旅立っていった。
一方、私は新聞紙を体に巻いて、少しでも温まろうとしたのだが、
痛いほどの寒さの中、結局、まんじりともできずに朝を迎えてしまった。

そうして新しい太陽の光が刺し染める中。
徐々に周囲が明るくなって、辺りの様子がくっきりしてくるにつれて、
夜には分からなかったことが明らかになっていった。

なんと、この避難小屋、屋根と壁の間が
1メートルほども開いていたのである!

どうりで寒いわけだ。
これじゃ、野宿したのと全く大差ないではないか。

寝不足で何度も谷底に転げ落ちそうになりながら、どうにか山を下りた。
眠気を誘う東海自然歩道の平坦な山道が、
このときはたいそう辛いものに感じた。

この頃、山行きを終えて里に下りると、
氷川駅(今の奥多摩駅)のそばを流れる日原川の河原で
一服するのが常だった。
その河原には、ひとつだけ飛びぬけてデカい岩石があった。
2mを超えるその岩石に、むりやりよじ登って、
てっぺんで胡坐をかいてくつろぐ。
ここがいつも私の指定席だった。

そうして、つい先ほどまで繰り広げた冒険の旅を振り返り、
束の間の感慨にふける。
よく生き延びたなぁ、なんて、当時は思いもしなかった。

楽しかったなぁ、またやりたいなぁ。
いつもそんな気持ちで満たされていた。

今でもあのデカい岩石は残っているんだろうか。
できれば、もう一度、見てみたいものだ。

最後に。
このときの山行きで詠んだ一句である。

 山が哭く 北風吠える 俺も泣く




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今日は岐阜旅行 二日目。
多分、高山を見物していると思う。
今夜の宿は、下呂温泉の予定。
何かよいお土産レシピをゲットできているといいのですが。

では、昨夜の続きをどうぞ。

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雲取山はさすがに二千メートル級だけあって、
山の様相がそこらの低山とはまるで違う。
登山の途次、眺める景色がどんどん高山植物に変化していく。
このクラスになると、途中の山小屋に一泊し、
二日がかりで登るのがセオリーとなっている。
さすがに子どものとき以来なので、
ルートや山小屋の情報を改めて確認しようと、親父に電話したところ、

「お前が小学生の時に登った山だ。
特に問題になりそうなところなぞ、なんもない!」
「山小屋? いつも空いているから、とくに予約はいらん」

とのことだった。

そういうことならばと、後輩と勇んで朝早い電車に乗り、
久し振りの雲取山に取りついた。
とはいえ、やはり東京の端っこ。
もっと早く出発するべきだった、と後悔しても後の祭り。

ということで、ハイペースで進み、
少々バテ気味になった後輩を引きずるようにして、一息に登りつめた。
おかげで、夕方、太陽が地平に沈みかける前には、
なんとか無事、山小屋に辿り着いた。
結構な強行軍だったので、ここで休めるのは体力的にも調度よかった。

ところがである。

ホッと息を継ぐまもなく、あろうことか
山小屋の親父は私たちの顔を見るなり、

「今日はダメだ」

にべもなく、言い放ったのである。

満員なのか?

しかし、11月の平日だ。
今のように中高年の山ブームが来るずっと前だったから、
歩いていても、殆ど人とすれ違わなかった。
絶対に満員のはずがない。

ふと見ると、髭もじゃの親父の後ろで、
若い高校生くらいの女の子たちが数人、
キャピキャピ話しているのが目に入った。

そ、そーゆーことなん?
私ら、そんなにアブナく見えたん?
いやいやいや、アンタの方がよっぽど強暴そうやん。

しかし、どんなに交渉しても、頑固な親父は首を縦にふらなかった。


明日につづく。


今回の岐阜旅行はあまりに急に決まったので、
今、これを書いている時点では、
どこをどういう風に旅するのか、
さっぱり分かっていない。
今頃はどこかの宿でゆっくりしている時分のはずなんだが、さて?

フットワークが軽いのは、人生で最も大切なことの一つと思う。
しかし、これほどの軽みだと、少々、戸惑いも覚える。
果たしてどんな旅になるのやら、楽しみでもあり、怖くもある。

もっとも、人生なんて本来そんなもの。
計画通り、安定した線路を走るだけなんて、クソ面白くもない。
そんな人生なら、犬にでも食わせてしまえばいい。(マジでっせ)

さて、毎度、旅行中は妻がブログを更新できないので、
いつもの伝で私が書いた原稿を予約投稿しておいてもらう。

今回は、私が若かりし頃の冒険の思い出をお話ししよう。



大学生の頃、時折、山登りに出かけた。
同じサークルの後輩を連れて、主に奥多摩の山々で遊んだ。

我々の山行きには、
いつも何かしらのトラブルやら面白い出来事が伴った。
何もなく、無事に終わった登山は恐らく一回もなかったと思う。

今から思えば、後輩はよくついてきたものだ。
妻などは、一度、山に連れて行ったら、
もう二度と一緒にいかない!と真顔で宣言した。

しかし、その後輩は、何度も何度も、
それこそ命の危険に関わるほどの目に遭っても、
尚、私との同行を断らなかった。実に得難い存在だった。

さて、そんな後輩と行った山旅の一つに、雲取山がある。
標高2017m。東京で一番高い山である。
山頂は東京・山梨・埼玉の境界になっている。

私が初めてこの山に登ったのは、確か小学4年生のときだった。
親父に「わずか数秒で三つの県を回ることができる」と教わって、
山頂の三角点をクルクル走り回った記憶がある。
とても思い出深い山なのである。

明日につづく。



今日は深夜に大宮に到着予定。
思い出話をお楽しみに。
お土産になる沖縄レシピがゲットできているといいな。


さて、今夜は「夢4夜」最後の夜。 

お題は「クマ」



繰り返し見る夢の中に、クマにお尻を噛まれるというものがある。
シチュエーションは様々なんだけど、いつもパターンは同じ。
逃げ切れたと思った瞬間、お尻を噛まれるというもの。
例えばこういう夢。

子どもの頃に住んでいた山合いの村で、
友達と山遊びをしていたら、はるか向こうに黒く動く点が見える。
やばい、クマだ!
全力で家に向かって山道を駆け出す僕ら。

だが、クマに道なんて関係ない。
最短距離を通って、斜面を一直線にこちらに向かって駆けてくる。

ようやく山道を抜け、人里に辿り着く。
仲間たちはバラバラになって、それぞれの家に向かって駆けていく。
目標が分散したはず。
なのに、なぜか私の後ろからクマが迫ってくる気配が消えない。

家の玄関アプローチを一足飛びに超えて、ノブを掴んでドアを開ける。
助かった!
ドアを閉めようとした瞬間、お尻をガブリ!

或いは。

大宮公園の動物舎に家族で遊びに行ったら、
檻の中にいるはずのクマがなぜか外に出ている。

まずい、逃げろっ!

慌てて妻と子供を先に逃がす。
私たちに気がついたクマが、猛然と追いかけてくる。

家族は無事、動物舎の出口を超えていった。
良かった!

最後を走る私が出入り口の戸を閉めようとした、まさにその瞬間。
お尻をガブリ。

夢なんで痛くはないのだが、なんか、すごく「やられたー」感がある。
だから、夢にクマが出てくると、
毎度、お尻辺りに不吉な予感が立ち込める。

でも、三十代中頃に見た夢は、同じくクマが登場したのに、
それまでとはパターンが変わっていた。

中学生くらいの息子と山歩きをしていたら、
突然、でっかいクマが出てきた。

まずいぞ、これは。

背中のリュックを下ろして、ゆっくり後ろに下がる。
息子も真似をして、リュックを地面にそっと下ろす。

クマはしばらくリュックに夢中だったが、
私と息子が離れていくのに気がつくと、スッと目の色が変わった。

あっ、ヤバイ。

息子に向かって「走れっ!」と叫び、私は突進してくるクマと向き合った。
心の中では、すごく嫌だった。
勝てるはずがない。
ここで死ぬ。

でも、息子を失いたくない!
その一心で、他のことは何も頭に浮かばなかった。

パタパタと走る軽い足音が遠ざかっていくのが聞こえる。

こっちを振り向くな!
今、来た道をずっと走っていけ!
誰かに会ったら、助けを求めるんだ。

目の前に迫ってきたクマの細部がよく見える。
あの爪と牙が体に入ったら、きっと即死だろう。
少しでも時間稼ぎをしないと。
一瞬でそう判断し、クマに向かって突進した。

パンチを打たれる前に、懐に飛び込んでやる。
その後、どうなるかなんて考えてない。
とにかく、最初の一撃だけは外さないと。

死に向かっての第一歩になると分かっていたけど、前に出ることができた。

そこで夢が覚めた。


もっと若い頃は、子どもよりも親が大切だと思っていた。
子どもはまた産むことができる。
でも、大人である自分や伴侶は、死んでしまったらそれまでになる。
だから、何かあったら、まず妻と自分が助かることを優先すべきだ。
そう信じて疑わなかった。

でも、実際に子が生まれ、自分が親になった時、
そんな考えは吹き飛んでしまった。
夢とはいえ、まさか子どものために命をかけることができるなんて、
自分でも思っていなかった。
いざとなったとき、とても嫌だったけど、
それでも子どものためなら死ぬこともいとわないと覚悟することができた。
いつの間にか自分がそんな人間になっていたなんて、このときは正直驚いた。

夢だったけどね、お前のためなら、俺は死ねる。
そのことがわかったよ。
この夢の話を息子にしたとき、
彼は、嬉しいような、哀しいような顔をした。

命を懸けるって、こういうことなんだな。
夢の中の出来事だったけど、
心に落ちてきたそれは、とても納得できるものだった。


~夢四夜 完~


沖縄旅行2日目。
案外、沖縄本島をちゃんと観ていなかったので、
今回はゆっくり腰を据えて観察してきます。



さて、昨日に引き続いて「夢四夜」、
今日は第二夜目。

「釣り」




大学生の頃に見た夢。

干上がった川があって、その両岸に学生がたくさん集まっている。
周囲を見ると、同じ学部の友達ばかりで、親友のSもいた。

Sは当たり前という顔をして、長い釣竿を持っていた。
気がつくと、私も、そして他のみんなも持っていた。

一体、こんな涸れた川で何を釣ろうっていうのか?

そう思った時に、拡声器を通したアナウンスの声が響いた。

「もうすぐ魚が来まぁす。学生の皆さんは準備をしてくださーい!」

ええっ、そうなの?

下流を覗き込むと、遠くから何かがやってくるのが見えた。
川幅いっぱいに広がって、ビチビチと元気に跳ねながら、
だんだんとこちらに近づいてくる。
さっきまでのおしゃべりはすっかり陰をひそめ、
Sや学部の友達は、みんな真剣な顔をして釣竿を握りしめている。

ようやく、河口からやってきたものたちの
正体がハッキリしてきた。
それは、巨大なマグロの切り身だった。
四角く切られたお刺身風の切り身、
人の身長ほどもある大きさのものが、
ぶよん、ぶよんとルビーのように真っ赤な体をくねらせて、
涸れた川底を跳ねながら進んでくるのだ。

えぇぇっー!

目の前を横切っていく巨大マグロの切り身たちに向かって、
学生たちが次々と竿を振りあげ、釣り針を打ち込んでいく。
向こう岸では、何人もの学生が切り身を釣りあげているのが見えた。

慌てて私も釣竿を振り下ろしたのだが、うまく掛かってくれない。
隣のSは、無事、一匹釣り上げた。

焦る私を尻目に、巨大マグロの切り身は、
最後の一匹が目の前を通り過ぎて行った。
その後から、鞭を振るって切り身たちを追いつつ、
ゆっくりと歩いてくる男が現れた。
チロリアン風の衣装をまとった、高校時代の友人だった。

「おや、釣れなかったのか。残念だったなぁ、留年だな」
私の姿を認めた友人は、そう告げると、
そのまま切り身たちを追って上流へと歩き去って行った。


現実には大学を留年せずに済みました。
それどころか3年で卒業に必要な単位を取り終えて、
4年生のときには遊んで過ごしました。
なので、この夢は逆夢だったのでしょう。



続けて、第三夜 「ヘビ」


何度も同じ夢を見ることがある。
いつも決まって同じ場所、同じ設定、同じ出来事。
なぜ同じ夢を繰り返し見るのかよく分からないが、
そもそも夢に何か意味を求める方が無理なんだろう。

フロイトは、夢とセックスを無理やり結びつけて解釈したけど、
それじゃ理解不能な夢が多すぎる。
きっと彼は、日頃、欲求不満だったんだろう。

気持ちよく空を飛ぶ夢を見ることがある。
はるか下を街や森が流れていく。
気流に乗って、自在に飛び回る。
身体が軽い!

やがて、そのまま高く高く舞い上がって、雲を抜けていく。
すると周囲が次第に黒ずんできて、
いつの間にか宇宙に飛び出している。
綺麗な星がいっぱいに広がっている中を、夢中になって進んでいく。
振り向くと地球が小さくて、まるで青いガラス玉みたいに輝いている。

なんていうのは、見ていて実に気持ちいい夢。
一方、なかなか飛べなくて、ジリジリ苦しい夢を見ることもある。

ゆっくりしか昇れない。
必死に飛んでいるのに、なかなか上がっていけない。
背中の翼が重い。

やっと電柱くらいの高さにまで上がれたと思ったら、
頭の上に何か横切っている。
なんと、線路が上を通っている。
あぁ、ここを越せないよぉ。
そこで、毎回、目が覚める。

ジリジリする夢がもう1パターン。

バイクに乗っている。
スロットルをいくら回しても、全然、スピードが出ない。
車が次々と抜かしていく。

もっと速く!
気ばかり焦るが、少しずつしか進まない。
目の前を長い上り坂が待っている。
この速度じゃ上れないかもしれない。
心が焦れるが、自転車並みの速度でしか進まない・・・

これらの夢は、今では滅多に見ない。
きっとやりたいことを思う存分できないでいるという
不満があったときに、見たものなんだろう。

それから、若い頃から繰り返し見てきた夢の1つに、
こんなものがある。

深い森を進んでいくと、古びた遺跡のようなところに出る。
そこには、石で作られた広い人工の池がある。
水底は浅く、水が綺麗に澄んでいる。
木漏れ日が池全体をやさしく照らしている。
そこに、大蛇がいる。

毎度、その大蛇と命がけの戦いになる。
ギリシャ神話のラオコーンみたいに、巨大な蛇が私の体に絡みつく。
必死になって格闘して、最後はいつも蛇を殺してしまう。

蛇が出てくる夢は、お金が儲かる予兆なんていう話を聞いたことがある。
いまのところ、その話は真実じゃないと確信する。
もっとも、毎回、私は蛇をやっつけちゃっているのだけど。


本当は前の週に行くはずだった沖縄旅行。
石垣島から西表島に渡る予定でした。
台風9号が沖縄を直撃コースで、
帰りの飛行機が飛びそうにない!と分かったので、泣く泣く断念。

が、どうにも悔しいので、なんと突貫で行くことに。
今回は沖縄本島を回る予定です。
次の台風も既に発生して、日本めがけて進行中ですが、
きっと大丈夫!と信じております。

旅行で留守の間もブログをお楽しみ頂けるように、
予約投稿しておきますね。
「こんな夢を見た」で始まる夏目漱石の「夢十夜」にひっかけて、
今回のお題は「夢四夜」です。

本当は3泊4日の予定だったので、
4日分を作ったのですが、今回は2泊3日です。
なので、4夜のストーリーを3夜に約めてお届けします。




さて、一夜目は、「壁」

それはまだ幼稚園に通っていた頃。
ウルトラマンに出てくる怪獣に追われるという、怖い夢をよく見た。

大きな怪獣がビルを壊しながら、こちらに迫ってくる。
街中の人が悲鳴をあげながら逃げまどい、
周囲は怪獣によって壊されたビルで、すっかり瓦礫の山。
あちこちから黒煙が空にあがっていて、
ときおり怪獣の叫び声が鳴り響く。

怖くて怖くて、いつも一生懸命に逃げるんだけど、
怪獣の方が足が速い。
追いつかれる。
もうだめだぁ・・・って目が覚める。

この夢が、本当に嫌で嫌で仕方なかった。
何が嫌って、怪獣が怖いだけじゃなくて、
それから逃げている自分自身がすごく嫌だった。

あるとき、また夢の中に怪獣が出てきた。
いつもと同じく、私は全力で逃げていた。

そのとき、走りながら、ふと思った。

「また僕は逃げるのか」

もうこんな怪獣に追われるのが、いい加減、悔しかった。
弱虫の自分が情けなかった。

思い切って、足を止めた。

勇気を振り絞って、振り返った。

その瞬間、僕の体は光に包まれ、
小さなウルトラ警備隊に姿を変えていた。
手には必殺の光線銃を握っており、僕はそれで怪獣を撃った。
光線銃からは、昔風に「ビーッ」という音がした。

やがて大きな怪獣はゆっくりと倒れ、
巨大なギョロ目から光が失われていき、そしてとうとう動かなくなった。

以来、夢の中に怪獣が出てきたことは一度もない。

怖いこと、嫌なこと、辛いこと。
そういうことから逃げていちゃダメなんだ。
思い切って振り返り、正面からぶつかってみる。
すると、そのときにはもう、どんなに高い障害であっても崩れ始めている。

これほど明確じゃなかったけど、大体、こんなことを当時の私は悟った。
ただ、情けないことに、
せっかく幼い時期に大事なことを理解したはずなのに、
その後もさんざんに私は逃げた。
そのたびに壁はより高く、より強くなり、
乗り越えるのが大変になっていった。

ようやく勇気を振り絞って、その壁を超えると、
もう二度と同じ壁はやってこない。
そういう体験を何度も積んできた。

そうして、一つ壁を超えるたびに私は思い出す。

幼かった日、ウルトラ警備隊になった自分自身の姿を。


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サイドメニュークラスのご感想を頂きましたので
ご紹介いたします。


サイドメニュークラスのお料理は、
本当に、メインになれるものばかりですね。

野菜がこんなにおいしくたくさん食べられて、あ~ 贅沢!

用意する野菜の量は多くても、
この美味しさが待ってるなら、切っている間もワクワクしますね。

どのお料理も、何度も何度も作ることになりそうです!

ズッキーニのチャンプルーは、
是非とも丼にして食べたいし、
ドレッシングはいつも飲み干したい。
楽しみがいっぱいです。


わくわくしながら作るお料理。
なんて幸せなんでしょう。
ぜひ繰り返しお楽しみくださいね。

昨日から2日間はお花見旅行のため
リアルタイムでブログが書けません。

そこで、2回に分けて夫が書いた
今回の春の毒出しについてを
予約投稿しています。
昨日から引き続き、どうぞお読みくださいませ。


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毒が多少なりとも入ってきた年には、
花粉症も少しは出るのですが、なぜ今回はこれほど軽かったのか。

それは、2週間に一度、三日の断食を繰り返してきたおかげであります。

以前、通信でも書きましたが、
「断食により、体内の脂肪に溜まった毒を少しずつ溶かしていき、
春の毒出し祭りのときには軽くて済むようにする」
という狙いがありました。

二日の断食では、残念ながら
ごく最近に入ってきた毒を出す程度になります。
三日目になって、ようやく
過去に入ってきた毒が体から抜けていきます。

でも、これ以上やると、
今度はアクセルを踏みすぎということになり、
一気に痛風発作が進んで寝込むということになりかねません。
このため、私の場合、
三日目あたりでブレーキをかける必要があり、
その代わり2週間おきに断食をするという方法になりました。

このように、積極的に毒出しを行って、
体内の毒を抜いてきたことが図に当たり、
今回の発作が軽くて済むという結果になりました。

ちなみに私は10日以上連続で飯抜き生活をしても、全く平気です。
しかし、良い子の皆さんは絶対に真似をしないでください。

断食は復食が大変やっかいで、
これを失敗すると死ぬ危険性があります。
実際、それで亡くなった方もいます。

また、断食の直後はうまく乗り越えても、
その後、食欲の大逆襲に襲われて大変なことになる可能性を秘めています。
しかも、この逆襲は、数日後か、数か月後か、数年後か、
いったいいつやってくるのか、予測できない怖さもあります。

このため、断食には決して気軽に手を出さないでください。

だいたい、「デトックス」などと世間ではもてはやされていますが、
本当の毒出しというものは、長く辛く続くものであります。

「お手軽にカラダ綺麗♡」なんていう、
おめでたごかしに騙されてはいけません。

そんな気楽で能天気なモンじゃないのです。

・・・ということで、旅行に行ってきます。
久し振りにシャバの空気を吸ってきます。
きっと毒もそれなりに・・・なので、また、断食しなきゃ!なのです。


今日から2日間はお花見旅行のため
リアルタイムでブログが書けません。

そこで、2回に分けて夫が書いた
今回の春の毒出しについてを
予約投稿しています。
どうぞお読みくださいませ。


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今回も春の毒出しが始まり、
かれこれ2週間も調子を崩してしまいました。
通って下さっている生徒さんには、大変ご心配をおかけしました。
現在、どうにか回復してきましたが、
本調子に戻るにはもう少し時間がかかると思われます。

こんなに「良い食事」をしているのに、
どうして痛風の発作や腰の痛みなどが出るの?

そう思われる方もいらっしゃると思いますが、
春という季節は、これまでの一年間の総決算が行われる時期。
そして、昨年度を思い返すと、何度も旅行し、
何度も外国料理の味見をしてきたという事実があります。

一応、添加物が入っていないか、
できるだけ少ないお店で食事をしてきたつもりではおります。
でも、全く毒性あるものが入ってこなかったかというと、そうはいきません。
むしろ、キャリーオーバーして入ってきているものも含め、
相当の毒が体に溜まったであろうと思われます。

ただ、今回は例年に比べると、ずいぶんと軽い症状で済んでいます。
いつもは激しい痛みで、一晩は確実に眠れなかったのですが、
そこまで酷いことにはなりませんでした。
また、花粉症の症状も全く出ていません。

毒が多少なりとも入ってきた年には、
花粉症も少しは出るのですが、なぜ今回はこれほど軽かったのか。

それについては明日続きを載せますね。


本日は角館の武家屋敷を見学し、夜に大宮に戻る予定。
明後日からは、秋クラスが始まります。
お土産話をご期待ください。
では、続きをどうぞ。

更にもう一つ、大きな違いがある。
断食の場合、無理に食欲を抑え込んでいるため、いつか必ず食欲の大逆襲が始まる。
せっかく痩せることに成功したとしても、長い目で見ると元通りか、さらに太っている結果となる。
これは食欲というものを甘く見過ぎた報いだ。
食べたいと願う本能は、人が戦って勝てる相手では決してない。
場合によっては数年かけて復讐されることさえある。

対して絶食の場合、最初から食欲を抑えているわけじゃなく、心身ともに食べるより休みたいという欲求に従って、食べるのを止めているだけなので、その後も全く食欲の逆襲はない。
もし逆襲を受ける場合、それは絶食じゃなく、心で抑え込んだ断食である。

そもそも食欲と病気には、真正面から戦いを挑んではいけない。
戦っても、まず勝ち目はない。
そういう思想ではなく、いかに寄り添って生きていくかを考えること。
この発想の転換こそが大切なのである。

このように「断食」と「絶食」は根本的に違うものなのである。
身体の具合が優れないとき、「絶食」は回復力、免疫力をアップさせ、いち早く回復へと向かうことができる。
一方、「断食」は様々にデメリットが大きく、非動物的な行為であるため、私は全くもってお勧めはできない。

ちなみに最近では一日だけの「プチ断食」なるものがあると聞いた。
これはようするに一日一食にすれば実現できるわけなので、心身への負担もかなり少ない。
料理教室のあるときには、妻以外の家族は皆、一日一食になる。年間約半分くらいの日は、プチ断食している計算になる。ハリーにいたっては、一年中、一日一食である。

この感覚で言わせてもらうと、この程度のものは、そもそも断食ではない。
「ちょっと忙しくてご飯を食べ損ねた」程度のことで、断食などというレベルのものとは程遠い。
本当は三日くらい食べないことで、初めて断食の効果がようやっと体に出てくる。
食べ過ぎの現代人にとっては、一日断食でも相当に堪えるだろうし、胃腸もそれなりにお休みできるので、効果的といえばそうなのかもしれないが、しょせん「なんちゃって断食」という感は否めない。

とはいえ、心に大きな傷跡を残す本格的な断食は、やはりお勧めできない。
こういうのは、自然に即した生き方とは決していえない。
どうしても痩せたいというのであれば、まずは食べる量を減らすことだ。
一日5食も8食も食べているから、痩せないのである。

そんなに食べてないって?
10時にちょっとつまみ、3時におやつが回ってきてつまみ、帰宅して小腹がすいたので、ちょっとつまみ、夕食の支度をしながらつまみ・・・自分では食事にカウントしていなくても、体にとっては、その一口は、立派な「一食」である。胃も腸も、その間、ずっと働き続けているのである。

ここまで読んで、「断食」も「絶食」も嫌だと感じた方。
その感覚は正しい。
それでもなんとか痩せたいと願うのであれば、まずは日頃の間食をやめてみることだ。
少なくとも、口に物を入れるのは、一日に3回だけにする。
これだけで、目に見えるほどの変化が体に訪れるはずである。

(終わり)

今日は遠野に足を延ばし、河童やおしらさまと戯れている予定。
夜は強首温泉に宿泊。
胃袋と腎臓がもちますように・・・
では、続きをどうぞ。

まず食を断っている最中なのだが、断食の場合、ずっと精神的に食べたいという気持ちがつきまとった。
なにしろ「意志の力」で食欲を抑え込んでいるだけなのだから、相当の目的意識でも持たない限り、続けることそのものが難しい。
そして、三日も断食すると、体がふらつき、仕事どころか、道を歩くのさえしんどい状態になる。

絶食の場合はどうかというと、もとより食欲がないのだから、食べたいという気持ちにさいなまれることはない。それどころか、5日目くらいからは、それまでより体が軽く感じられ、11日目になっても家事を楽々こなせるくらいの体力がしっかり残っている。もっとも、私の場合、痛風の発作が継続している都合上、あまり派手に動くことはできないのだが。

それから、断食ではお腹が空いたということ以外は体にあまり変化がないのだが、面白いことに絶食していると、内臓たちが一斉にお休みモードに入り、ピクリとも動かないのが分かる。
いつもは灼熱の太陽のように熱い私の体が、すっかり体温が下がって冷たくなった。このときは、教室にいらした女性たちの誰よりも手が冷たくて驚かれた。冬眠状態のクマって、きっとこんな感じなんだろうと思う。

夜、寝るとき、我が愛犬のハリーは「ハァハァ」舌を出してあえいでおり、妻も寝苦しくて布団を剥いでいるのに、私は寒くて上掛けをかけていた。冷房がことのほか身に堪えたからである。
普段なら直接、冷風を裸に受けて快をむさぼっている私なのだが、正直、このときばかりは、冷え性の女性の気持ちが分かった気がした。

それから、「回復食」がまるで違う。
通常、断食をした後は、胃が小さくなっているせいもあって、少しずつ食べる量を増やしていかねばならない。
三日間の断食をしたならば、三日間かけて通常の量に戻す。
それも最初は重湯やお粥といった、流動食からスタートする。
次第にご飯の水分量を減らし、通常の食事へと少しずつ変えていく。
これを回復食という。

もしも食欲に負けて、いきなり大食いしてしまうと、場合によっては死に至る。
結構な危険が伴うのが断食といえる。
本当は断食そのものよりも、回復食を食べるときの注意点の方がよほど大きい。

湧き上がる食欲。
それを抑えながら食べ進めていく。
これはよほどの意志力が必要だ。
絶対に満腹するまで食べたりしてはいけない。
こうなると、誰かが監視して食べる量を制限してもらうのが一番手っ取り早い。
断食道場のような場所が必要となる最大の理由は、ここにあるんじゃないかと思われる。

これに対し、絶食の場合はどうか。
さすがに絶食明けの最初の食事は、流動食が胃腸にはやさしく、それを口にした方が無難である。
しかし、次に食べるものは、もう通常の食事で全く差支えない。
ただし、食べられる量はいつものそれの半分から3分の2くらいになる。
これは自分のお腹と相談しながら食べる必要があるのだが、少しでも食べ過ぎるとお腹が痛くなるので、おのずと量は決まってくる。
それに絶食明けは食欲もさほど回復していないことが多く、久し振りの食事だとしても、あまり

がっつきたいとも思わない。
むしろ、食べるの面倒だなぁくらいな感じになる。
従って回復食を計算して増やしていく必要はなく、自然な食欲の増加に合わせて、食べる量を戻していけば、それでいい。頭じゃなく、あくまでも体の欲求に従って行うのが、絶食のお作法なのである。
今頃は盛岡を散策して疲れ果て、ホテルで一服している頃かな。
銀河高原という素敵なネーミングのホテル。
いい夢が見られそうです。

今回は小説ではなくて、心に去来することを書き綴っておきます。
楽しんで頂けたら幸いです。


『断食と絶食』

断食によるダイエットというものが、一時、世間で流行った。
断食道場なんてのが、ゴロゴロと雨後の竹の子のようにできたと聞くが、今はどうなっているのだろうか。

食を断つから断食。
これはつまり、健康で食欲もある人が、お腹が空いたのをこらえ、「食べたい」という心の欲求を抑えつけて行う行為を意味する。

これに対して絶食とは、食べないというキーワードまでは確かに同じ。
違うのは、身体が「食べたくない」というサインを出していて、それに従って食べるのをやめるという点。

病気や怪我を身に負ったとき、食欲がぐーんと落ちるのは、皆さんも経験があるはず。
こういうときは、体もそうだけど、心も「食べたい!」という気持ちが湧いてこない。
それよりも「休んでいたい」と思う方がはるかに強い。
これはあらゆる動物がみんなそうで、食べないことにより回復力をアップさせているからである。

意志の力で食欲をねじ伏せるのが「断食」
自然の欲求に従って、食べるのをお休みするのが「絶食」
つまり断食に比べて絶食には、どこにも「無理」というものがない。

私はこの二つを過去に幾度も体験してきて、その差が実に大きいことを体感している。

(続く)
今日は大宮に帰宅します。到着は深夜になる予定。
ということで、お話の最終回をお届けします。


「大きなのっぽの古時計」 ~その3~

「なあんだ。やっぱり、ただの迷信だったんじゃないか。」
 洗面所で僕が呟く。
 さっきの慌てぶりが、今になってなんとなく恥ずかしくて、わざとチェッと舌打ちすると、
「あらあ、私、ずっと迷信だと思ってたわよ。」
 妹がすまして言った。
 お前だって死なないで、なんて言ってたくせに!
 僕が、こいつめ、と、げんこつをくらわそうとした時、
 ガッシャーン
 と外ですごい音がした。
 事故!
 慌てて外に飛び出してみると、家の前で車がひっくり返っている。
「いや―――っ」
 妹が絶叫した。
 その瞬間、僕らの時が止まってしまった。
 小さな体を空に向け、弟が雪の中に倒れ伏していたんだ。
 新雪が温かい血を吸って、ぐったりと溶けかかっている。
「ヒデくん、ヒデくん!」
 いくら呼んでも、弟は返事をしなかった。
 大きく目を見開いて、弟は驚いたような顔をしていた。
 お父さんとお母さんが走ってくる。
 近所の人が、次々と顔を出す。
 僕は呆然と立ちつくしていた。
 信じられなかった。
 まるで天が落ちてきたみたいだった。
 不思議なことに、僕は涙がちっとも湧いてこなかった。
 弟は、雪だるまの雪が、もう庭になくなったので、外に出て行っちゃったんだろう……
 どこか遠くの方から、サイレンが近づいてきた。
 お母さんの泣きじゃくる声が、僕の麻痺した意識下にかすかに響いた。
 十二時になったら、もう……
 砕けた雪だるまと、逝ってしまった弟を見ているうちに、僕の心にボーン、ボーンという、あの音色が蘇ってきた……


 あれから幾歳月が流れ、僕は「独りぼっち」になった。
 祖母が逝き、父、母が旅立ち、先週、妹が身罷った。七十二歳だった。
 一人一人、僕の周りから、親しい人が去っていった。
 掌から砂がこぼれ落ちるみたいに。
 僕は結婚がうまくゆかず、子供もいない寂しい晩年だ。
 全くの「独りぼっち」なのだ。
 だが、今は違う!
 一昨日、大きな荷物が妹から届いた。
 開けてみると、それはあの壊れた古時計だった。
 僕は、暫し、少年時代の回想に耽り、子供の頃につけたナイフの傷痕を指でたどった……

 そう、僕はもう「独りぼっち」じゃない。
 こうして目をつむると、父や母、妹や幼くして逝った弟の姿が、すぐそこに見えてくるのだ。
 懐かしそうな笑みを浮かべて、みんなが僕を待っている。
 この頃はその気配さえ、僕には感じられるのだ。

 古時計が、昨日の晩、動き始めた。
 コツ、コツ、コツ、コツ……
 静かに時を刻む古時計。
 僕の命の灯を、少しずつ、少しずつ、刻み取ってゆく。

 大きなのっぽの古時計。
 おじいさんの形見の時計。
 もうすぐ十二時の鐘が鳴る……

END
今日は小樽で一泊。
教室でお披露目できる料理に巡り合えているといいなぁ。
では、続きをどうぞ。


「大きなのっぽの古時計」 ~その2~

 次の日は元旦。
 昨日の雪がすっかりやんで、窓を開けると、一面真っ白い銀世界だった。
「うわぁ、ねえ、後で雪だるま作ろうよ!」
 恵子の提案に、僕も秀之も大賛成だった。

「ご飯よお。」
 お母さんが下で怒鳴った。
 僕らがドタドタと降りてゆくと、お父さんとおばあちゃんが先に座っていた。
「明けましておめでとうございます。」
 僕らが言うと、おばあちゃんもニッコリ笑って、おめでとうと言った。
 なんだか僕はうれしくなった。おばあちゃんは死ぬどころか、元気そうじゃないか。死ぬなんて、そんなわけないよ……
「おばあちゃん。」
 弟がうつむいて言った。
「おばあちゃん、死んじゃうの?」
 ハッと、お父さんとお母さんが顔を見合わせた。
 僕の心臓がドキリと高鳴った。
 気のせいか、外のスズメの声さえやんでしまったようだ。すると、
 コツ、コツ、コツ……
 静まり返った部屋に、あの音が忍び込んできた。
 知らず知らず、僕らは廊下の古時計に目をやっていた。
「馬鹿だねえ、ヒデくんは。」
 おばあちゃんの笑い声が、静寂を破った。
「おばあちゃんが、死ぬように見えるかい?」
 優しい声で、おばあちゃんが言う。
「ううん。」
「大丈夫だよ。」
 おばあちゃんはそう言うと、小さな弟を抱きしめ、はい、お年玉、と僕らにドラえもんの絵が描いてある、お年玉袋を配った。
「さあ、みんな! ボヤーッと立っていないで、食事よ、食事!」
 お母さんの声に、僕らは頂きまぁすと元気に叫んだ。
 でも、僕らの目は、どうかすると、あの廊下に一人で立ってる、大きなのっぽの古時計にいってしまうのだった。

 正月番組はつまらない。
多分、僕らが小さすぎるのだろう。僕らは朝食の後片付けを手伝った後、庭で雪だるまを作ることにした。
 野球ボールくらいの固い芯を作ると、それを片手でコロンコロンと転がす。少しずつ雪がくっついてきたら、今度は両手でバランスよく転がしてゆく。次第に大きくなってゆくにつれ、雪玉は子供の力では動かせなくなる。
 そうなったら、次は頭の番だ。
 僕らは二時間くらい、雪遊びに興じていた。

 ふと、妹を見ると、しきりに腕時計を気にしている。
「今、何時?」
 雪を転がす手を休めて聞くと、
「もうすぐ十二時よ。」
 と、恵子が答えた。
 十二時……あの時計が一周りして十二時になったら、もう……
 不意に、昨日の晩の会話が頭に浮かんできた。
 僕らはどちらともなく駆け出していた。
 家に飛び込むと、
「おばあちゃん?」
 恵子が大声で叫んだ。
 僕らは懸命に廊下を走った。
 と、その時、
ボーン、ボーン、ボーン、ボーン……
 信じられない程、大きな音で、古時計が正午を告げる鐘を打ち鳴らした。
 生まれて始めて聞く、古時計の鐘の音……
 それはなぜか、この世のものならぬ不吉な予感を、僕に植えつけた。
 暗く深い過去からの呼び声が、僕らを嘲笑うかのように、いつまでも、いつまでも響き渡っている……
 その物悲しい音色は、やがてゆっくりとどこかに吸い込まれ、消え去った。
 だけど、体を痺れさせるような余韻が、僕の耳に焼きついて、どうしても離れてくれないんだ……
 ゴボッ、ゴボッ
 誰かが喉を詰まらせて、むせている声が聞こえてきた。
「おばあちゃん!」
 僕らは、鐘の音の呪縛を振りほどくように、居間へ駆け込んだ。
 おばあちゃんが、体を二つ折りにして、苦しそうに息を荒げている。老眼鏡がズレ落ちて、しわくちゃの顔が涙でグチャグチャだ。
 僕は、ドンドン、とおばあちゃんの背中を叩いた。
 おばあちゃん、死なないで! おばあちゃん……
 妹がお父さんたちを呼びに走った。

 しばらく背中をさすってやると、おばあちゃんの呼吸が落ち着いてきた。
 紙のような白さだった顔色に、血の気がもどってくる。
「あーあぁ、苦しかったよ。」
 おばあちゃんが大きく息を吸った。
「お茶を飲んでたら、急に鐘が鳴ったろ、びっくりしてねえ。」
 僕らはホッとして、なんだか拍子抜けになっちゃった。
「でも良かったわよ。」
 恵子が笑った。目の隅に、うっすらと涙の跡が残ってる。
 本当に良かった。
 大したことをしたわけでもないのに、僕はおばあちゃんの命を救ったような気がして、とてもうれしかったんだ。
「お兄ちゃんとケイちゃんのおかげだよ。」
 おばあちゃんが目を細くして、穏やかな微笑みを浮かべ、言った。
「あれあれ、二人とも手が真っ赤っかじゃねえ。お湯で洗ってきなさいよ。」
 さっきまで雪で遊んでいたので、僕らの手は紅葉みたいになっていたんだ。

(続く)
今頃は札幌でゆっくりしている時分かな。
今回も妻がブログをアップできないので、予約投稿しておきます。
大学生の頃に書いた小説、いわゆる若書きってやつなのですが、お楽しみ頂けたら幸い・・・


「大きなのっぽの古時計」 ~その1~

 今ではもう、滅多に見られないけど、僕の家にはとても古くて大きな時計があったんだ。
 あの頃のことは、この時計と共によく覚えているよ。
 いつも廊下の片隅にジッと立っていて、小さかった僕らをいかめしそうに見下ろしていたものさ。
 僕らと言ったけど、僕には妹の恵子、十才と五才の弟の秀之の二人の兄弟がいるんだ。
 僕は長男で十二才。斉藤 始というのが僕の名前だ。
 その古時計について、少し話しておかなくちゃいけないな。
 それは亡くなったおじいちゃんのもので、もう全然、動かないんだけど、とても大切にされていたんだ。丈夫なマホガニー製で、すっかり黒ずんでいて、文字盤が大きくて、お腹の空洞部分には、金が処々落ちちゃった振り子がブラ下がっている。
 ホコリをかぶって汚いわって、お母さんが言うけど、捨てましょうよ、とは言わない。この前、お父さんに言ったら、
「バアさんが大切にしてるからねえ。」
と、お父さんは知らん顔。おじいちゃんの形見だからって、おばあちゃんが懐かしそうに目を細めるので、お母さんも本当のことは言い難かったみたい。おかげで、僕が小さかった頃、ナイフでいたずらして傷つけちゃった時も、そんなに怒られなかったけど。いつもドッシリと構えていて、なんだか、僕はシャクに触ったんだ。
 だって、いつも十二時を指したままだし、僕は小っちゃくて、文字盤に手が届かなかったからね。

 何の役にも立たない大きなのっぽの古時計。
 ぜんまいも切れちゃってて、ネジを巻いても動かない。
 おじいちゃんの形見の時計。

 でもね、その古時計が、急に動き出したんだ!
 その日は大晦日だった。
 外は大雪で、僕らはみんなして、NHKの紅白歌合戦を見ていた。弟の秀之まで、眠い目をこすって起きていたっけ。
 もうすぐ年が明ける。
 あと四秒、三秒、二秒、一秒、ゴーン。
 『明けましておめでとうございます。』
 テレビのアナウンサーが、白い息でしゃべってる。
 僕らも、おめでとうとか、今年もよろしくね、なんて言ってたら、
 コツ、コツ、コツ……
 何かの音がするんだ。
 なんだろう? と首をかしげていると、おばあちゃんが、あっと大きな声を出したんだ。
 どうしたの? って僕が聞くと、
「時計だよ。あの時計が動いてるんだよ。」
 すっごく怖い顔して、おばあちゃんが言うんだ。
「わあ、あの古時計、動くんだあ。」
 妹が喜んで席を立つ。僕もすぐに後から見に行ったけど、
 コツ、コツ、コツ……
と、振り子に合わせて、ほんのちょっとずつ針が動くのが分かって、すっごくドキドキしたよ。
「さあ、みんなもう寝なさい。」
 お父さんが大声で言ったので、僕らは一目散にベッドに入ったけど、なんだか胸がはずんじゃって、全然眠くならないんだ。明日、テストって時には、すぐ眠くなって困っちゃうのに、こういう特別な日ってなかなか眠れないでしょう? だから僕らはその後も、ずっとお話してたんだ。
 やがて、お父さんとお母さんが二階に上がってきて、何か言い争っているのが聞こえてきた。
「おい、恵子、ちょっと見てこいよ。」
 小さかった僕らは、大人のケンカにもすごく興味があった。
 恵子が暫くして帰ってくると、僕はベッドから飛び出して、恵子とヒソヒソ話を始めた。
「どうだった?」
「うん、それがね……」
 恵子は、いつもらしくない。
「だから、どうだったんだよ!」
 秀之もゴソゴソとベッドから下りてきて、僕らに加わった。
「変な話よ。あの時計、動いたでしょ。」
「うん。」
「だから、おばあちゃんが死んじゃうんだって。」
「え――っ!」
 僕らはブッたまげた。
「どうしてさ?」
「お母さんがね、お父さんに聞いてたの。おばあちゃん、自分で言ってたんだって。あの時計が動いたから、おばあちゃんは、もう、死ぬんだって。」
 僕は身をのり出した。
「そんなことあるかよ!」
「うん、お父さんも言ってたよ、そんなの迷信だって。でもね、お母さんが、じゃあ、どうして、おばあちゃん、そんなこと言うのって。そしたら、お父さん言ってた。前もね、おじいちゃんが死んだ時にね、あの時計、動いたんだって。」
「うそっ!」
 なあに、どうしたのって秀之がきいた。
「なんでもないよ。」
 僕はティッシュで鼻をかんだ。
「でも、おばあちゃんが死んじゃうとかって……」
「ううん、そんなことないわよ。さあヒデくん、もう寝ようね。」
 恵子が弟をベッドに上がらせた。
「もっと何か、他にも言ってなかった?」
 僕が聞くと、恵子が小声でささやいた。
「うん、あの時計がね、一周りして十二時になったら、もうダメなんだって……」
 その夜はなんだか寝つけなかった。
 恵子も眠れないみたいで、時々、寝返りをうっていた。

(続く)
沖縄旅行 最終日です。
石垣島から竹富島に渡り、また石垣島に戻って、直行便で羽田へ。
帰宅は夜遅くになる予定なので、多分、今夜もブログはアップできないと思います。
そこで、お話をもう一つ。


『神の落とし物』

 それは、私がまだサラリーマンだった頃。
 呑み過ぎて終電で眠り込んでしまい、気がつくと「東鷲宮」という駅だった。
 そこがどれほど地元の大宮まで遠い距離にあるのか、さっぱり分からなかったため、とりあえず、歩いて帰ろうと、冬の寒い真夜中、一人、寂しく暗い道のりをとぼとぼと家路についた。
 酔っぱらった勢いとはいえ、今から思うと、これはやはり、かなりの暴挙だった。
 勿論、歩き始めてものの3時間もしないうちに、もう後悔を噛み締めていたのだが、何事も初志貫徹を旨として生きるのが男である。このときは、結局、8時間かけて、やっと、家に辿りついたのだった。

 さて、この長旅の途中、世もしらじらと白み始めた頃。あれは確か、漸く大宮の隣町にある、宮原駅にまで辿りついたときのことだった。
 急に下腹が差し込んできて、慌てて駅のトイレにかけこんだのだが・・・そこで見たものは!

 なんと、太さが大人の二の腕ほどもある、この世のものとは思えぬ物体が、長々と便器の中で横たわっていたのである!

 最初、それが何であるか、さっぱり分からなかった。
 太さもさることながら、50センチ以上もの長さがあったからだ。
 暫し、下腹の痛みも忘れてじぃっと見入ってしまったのだが・・・全くもって、それは人糞以外の何物でもなく、しかも、途切れることなくひり出された「見事なまでの一本!」なのであった。
 所々に未消化のコーンが認められたが、不思議なことに全く臭いがない。

 なぜ、こんなものが、ここに、こんなにも静かに横たわっているか?
 いや、それよりも、一体、誰がこんな凄まじいものを出したのか?

 その横に落とされた自分のそれは、あまりにも小さく儚く、水音とともにあっという間に視界から消え去っていった。
 だが、神の落とし物は、何事も無かったかのように、あくまでも静かに、でーんとそこに鎮座しており、激流に洗われながらも、形一つ変えずにいたのである。

 あぁ、私は小さい人間であることよ・・・
 激しい衝撃の嵐の中、徐々、悟りの境地が開かれていったのであった。

(完)

沖縄旅行の三日目です。
石垣島にいる頃です。
梅雨の時期だけど、晴れ間があるといいな。


『幻獣』その3

 白状しよう。
 私はとても釣りが下手だ。
 ろくすっぽ釣れた試しがない。
 多分、生まれて初めて釣った魚が、野生化した金魚だったからだろう。
 他の者は皆、フナばかり釣っていた池だというのに。

 しかし、彼は別だ。
 どんなときでも、彼は何か、獲物を釣り上げる名人なのだ。
 その彼さえも、その日は、眉間にしわを寄せる状況だった。
 ピクリとも、浮きが動かないのだから、打つ手もない。

 昼前くらいの時間だったろうか。
 もう、いい加減、諦めようということになった。
 疲れた顔を見合わせ、私たちは、ノロノロと釣り道具をしまいこんだ。

 そのときだった。
 太陽が雲間に隠れ、幾本もの光の矢が、にごった水に差し込む中、突然、それは現れた。
 暗がりから、光の筋の中へ、そして、また、暗がりへと、鰭ひとつ動かさず消えていったそれは・・・
 全身が真っ白な、1メートル以上もある巨大なウナギだったのである。

 胴回りは大人の腕よりも太かったように思う。
 病気のように体表がほの白く、尻尾に至るまでの全身の筋肉を何一つ動かさないまま、それは闇から光、光から闇へと消えていったのだ。

 あまりのことに呆然としていた私たちは、それが視界から消えるや否や、大慌てで、もう一回、釣り道具を引っ張り出した。
 だが、それを捕らえることはおろか、その後もクチボソ一匹、釣ることは叶わなかった。

 あれは一体、なんだったのだろう。
 ダムに住む生き物たちの主だったのか?
 それとも、別の何かだったのだろうか?

 二人の間で、その後、この出来事を口にしたことは一回も無い。

 この世のものではない何か。
 今だったらそうは思わないだろうが、当時はとても神聖なものを見てしまったように感じていた。
 同時に、どうせ誰も信じてはくれないだろうという気もしていた。
 だから、このことを話題にすること自体、無意識のうちに避けてきたのだ。
 いずれにせよ、この体験を証明するすべは、今となっては何一つない。

 その後、高校受験を迎える頃になると、私は勉強に打ち込むようになり、彼との付き合いも自然と遠くなっていった。
 程なくして、また、引越しを行い、私は少年時代を過ごした地を離れ、以降、彼とは音信不通になってしまったのである。

 あれは私が大学2年に進級した頃だったか。
 交通事故で彼はこの世を去った。
 スピードの出しすぎで電柱に激突したのだ。

 通夜の日、数年ぶりに訪れた、小さい頃、彼と共に育ったあの土地は、当時と変わらない景色のままだった。
 今でも、きっと、そのままだろう。

 この世には見てはならないものがあるのかもしれない。
 私は、祟りだの呪いだのといったものは信じていない。
 だが、ひょっとすると、この世のものならざる何かを見てしまった者は、早世の定めを負ってしまうということがあるのやもしれぬ。

 死者に名前は無い。
 だから、この話に出てくる少年も、ずっと「彼」のままで終わることにする。
 もしも、いつかまた彼と再会することができたら、聞いてみたいことがある。

 君は私をかばい、とりなしてくれたのか?
 初めて出会った、あのときのように。

(完)


明日は・・・?


今日は沖縄での一日目。
今頃は那覇でゆっくりしているかな。

留守の間、妻はブログを更新できません。
そこで、昔、書いたものを少しずつ予約投稿しておきます。
楽しんで頂けたら幸いです。


『幻獣』その1

 私は横浜生まれである。
 しかし、その後、関東各地を転々とし、今に至るまでに八回も引越しをしている。おかげで一緒に育った友垣というものが近くには全くおらず、成人式もそれがゆえに行かなかったくらいだ。

 いや、より正確に言うならば、行きたくても行けなかったのだ。
 久し振りに再会した友人同士が肩を叩き合って、互いの無事を喜び合う。そんな華やぎの中で、独りだけポツンと取り残されている自分を想像するだに、居たたまれぬ寂しさを覚えてしまうからだ。

 私が今までの人生で一番長く住み、最も多感な少年時代を送ったのは、千葉県だった。これはその千葉県在住時代に体験した話である。

 今から40年近くも前のことだ。
 小学2年の夏休み。
 私の家族は千葉県市原市に居を移した。
 ようやく慣れた学校や級友たちと別れ、見知らぬ土地に迷い込んだ私は、引越し当初から近在の少年たちと衝突してしまった。

 それまでの私は、東京の足立区に住んでいた。
 当時、まだ田んぼがあちらこちらに残っていたとはいえ、殆ど自然といえるようなものはなく、工場から立ち昇る煙、環七を走る車の排気ガス、墨汁より黒い綾瀬川の臭気といったものに囲まれて、私は育った。

 引越し先の市原で初めて見た空は、本当に青くて高かった。
 空気がピリリと、胸に痛いような感じさえした。
 なにしろそこは、小さな山の斜面を削って作られた村落のような住宅地で、深い谷を隔てた真向かいは、広葉樹の生い茂った山並みが続いていたのである。

 季節になると、猟師が鉄砲を持って入ってきた。
 ドーンと音がすると、向かいの山から雉がバタバタとこちらに向かって飛んで逃げてくる。
 カエル、ヘビ、カブトムシ、ホタル、リス。
 滅多に見ないけれど、野生のウサギさえいた。だが、なにより多かったのは微細な蜂だった。
 秋には、あけびや柿がたわわに実り、ホタルブクロが風に揺れる。
 モズが高く鳴き、冬枯れの季節には、葉を落とした山の木々が、黒々とした枝を天に向かって屹立させる。
 幼い頃、私が育った土地は、そんな草深い田舎だったのだ。

 「東京から越して来た人間」
 すぐにその匂いは消え失せ、私は地元の子供たちと溶け合っていった。
 だが、初めて顔を合わせたとき、恐らくは、私の言動の一つ一つに、自分たちとは違う何かを感じとったのだろう。
 彼らは、私を囲み、暴力で歓迎しようとしたのだ。


明日に続く・・・。

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